養父の旅立ち
おはようございます!今日から三連休ですね。皆さんはお休みですか?私は仕事です・・・・でも、頑張るしかないですね!!
さて、先日の続きを書かせて頂きますね!刑務所に届いた1通の手紙。
その手紙は、
養母からであった。
養母と最後に会ったのは、私が自殺未遂して入院していた時に駆けつけてくれ、そして何も言わずに゛ごめん、ごめん゛だけを泣きながら繰り返し謝ってくれたとき。
私が刑務所に入っていることを何故、知っているのかはわからなかったが、私は届いた手紙を読むことなく自分の棚にしまっておいた。
刑務所で1年の月日が過ぎたある日、ふっと養母からの手紙を思い出した。私は1年ぶりに手紙を取り出した。封筒の中には数枚の便箋と、汚い字で途中まで書かれた一枚のメモ紙が入っていた。
手紙には、悪魔を育ててしまったという養母の後悔の気持ちと、養父の死が書かれていた。。。
4年も前に養父は亡くなっていたのである。
養父は、軍鶏の喧嘩(博打)が大好きで、家にはたくさんの軍鶏を飼っていた。
仕事は自営で建築系の仕事をしていたので、顔は日に焼けて真っ黒(実際は肝臓が悪かった)、毎日ボロボロで真っ黒な作業着を着ていた。
雨が降った日は、朝から酒を飲んでゴロゴロしている養父。
巨人が大好きで、巨人が負けると養母にあたる。
そして養親の喧嘩が始まる。
野球シーズンは、本当に喧嘩が耐えなかった、、、、
私は小学校の頃から少年院を退院する日まで、養父を恥ずかしと思っていたし、養父は大嫌いだった。
養父なんか死んでしまえと思ったこともあった。
養母からの手紙には、養父はある日の朝、軍鶏に餌をあげている最中に倒れ救急車で運ばれた。1年近く入院し、亡くなるときには体重が半分にまでなるくらいまで痩せこけてしまっていた。喋ることができないくらい弱った体で必死に起き上がり、養母にペンを取って欲しいという仕草をした。
養母はメモ用とペンを渡した。
養父はメモ用紙に
「なおは元気な・・・・」
までを書き残し、息を引き取った、そんなことが養母の手紙に書かれていた。
養母からの手紙に同封されていたメモ紙は、養父が亡くなる前に書いたものであった。
私は涙が止まらなかった。
私が少年院を退院するときに迎えに来てくれた日が、養父との最後の日になってしまった。
私は、養父の愛情を感じ、養父への感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
もう、会うこともできないのに。
私は決心した。
私は刑務所に行ったことやヤクザとして生きてきたこと、その他、たくさんの過ちを犯しました。
でも、一番の過ちは
養父にありがとう
と言えなかったことです。
本当に、本当に後悔してます。
今、ニュースを見れば親が自分の子どもの命を奪ったり、子どもが自分の親の命を奪ったり・・・・・
本来は一番近くで一番守ってあげなければならない家族の未来を奪ってしまう事件が多い血の繋がりがあるなしに、人の未来を誰であれ奪うことは許されない。
人の命はリセットできないのだから。