一歩踏み出したが・・・・
おはようございます。
東京は今日も暑くなりそうですね~では、早速、昨日の続きを書かせて頂きます。刑務所に届いた1通の手紙。
養母から養父が亡くなったことが書いてあった手紙・・・
私は大馬鹿野郎だ!
ありがとう
の一言を
二度と、
二度と養父に伝えることができない。
世界中で一番私を愛してくれた人に対して・・・・
養父に出来なかった、養父に伝えられなかった分、私は養母を世界中で一番幸せにすると決心した。刑務所から出所したら暴力団から足を洗い、養母を守ろうと。
その日以来、私は余暇時間全て法律や経営学を学ぶ時間にあてた。
ただ、休日の余暇時間、雑居で勉強ばかりしていると、同じ房の人たちから
付き合い悪いな~
とか、まじめぶってるなよ!
と陰口は言われましたね・・・
でも、私はくじけるわけにはいかない。
学歴もない、指もない、ノウハウもない私が、ヤクザから足を洗ってまともな経営者になるためには、とにかく少しの時間でも知識をつもうと努力しなければならないから。
でも、実際は私の足を引っ張る人も出てくるのですよ・・・・
本当につまらない難癖つけてきて、、、、、私は刑務所で3回喧嘩して、懲罰を受けましたね・・・・・
懲罰は数週間(懲罰のないようによって日数が決まります)、一日中何もない部屋で座っているだけ・・・・風呂も入れないし、夜や休日のテレビも見れない・・・・
当然、勉強すらできません・・・
3回目の懲罰のときは12月30日でした。。。
この日から数週間、何もない空間で生活しなければならない。
私は悩みましたね・・・
それは、社会復帰してからどうするとか以前に、この刑務所でこれからどう生きていくか、どのように人と関わっていくかを。3回目の懲罰中は
もう、勉強やめて皆に気を使いながら生活しよう
そう、毎日考えていました。。。
3回目の懲罰があけた時は、新しい工場に転入することになり、また、一からやり直しで、人間関係も最初から作り上げなければならない・・・・
私は看板(ヤクザ)を背負っている以上、ヤクザとして周りは対応してくるので、私も転入早々、勉強できないし・・・・
本当に
勉強しよう!
という決意を胸に抱いたまま、何も出来ない時期がありました。
まぁ、こんな感じで本当に刑務所では人間関係が大変なわけです、、、、本当に刑務所では色々とありました。
そして、5回目の冬、
私は刑務所を出所した。
私は刑務所を出所した後も、当然、ヤクザの世界で頑張るとずっと考えていた。
しかし、養母からの1通の手紙が私の生きるべき道を示してくれた。
人は誰でも変わることができる。
チョットした切欠があれば。どんな苦しくても悲しくても、
自分の道に迷ったとしても、
立ち止まったとしても、
生きていれば必ず何かが見えるときがある。
生きていれば必ず。
そして大切なことは、
自分の人生を変えることができるのは自分自身です。
勇気を持って目の前の自分自身の道を一歩、歩き出すこと。その一歩が必ず自分を変えてくれる。
私は出所してすぐに、兄貴に会いに行った。
「久しぶりだな、出所おめでとう」
「兄貴・・・俺、ヤクザ辞めます・・・・」
私は兄貴に自分の気持ちや考え全てを話した。
私の全ての気持ちを聞いてくれた兄貴の答えは・・・・