母が差し出した封筒には・・・
おはようございます!なでしこジャパン、やりましたね。優勝おめでとう御座います。さて、私は5年ぶりに社会復帰し、その足で、兄貴に会いに行った。
まぁ、実際は朝早く出所したのですが、私が住んでいた地域から離れている県の刑務所だったので、その日はその地域をぶらついて、自身の本音と向き合い、そして翌日、兄貴に会いに行ったのです。さてさて、私は兄貴にヤクザをやめたいとの話をし、少しの間の沈黙の後、
兄貴は
わかった。お前の気持ち大切にして生きてみろ!という言葉を頂けました。そして、兄貴と一緒に親分、代行(組織のNO2)のところへ伺い、そして出所した挨拶とこれらの話をして私は暴力団から足をあらった。
出所して3日目だったでしょうか。
私はヤクザという看板をおろした体で養母に会いに行った。
養母は私の顔を見ると泣き崩れた・・・・
私は養母、
そして亡くなった養父の仏壇に向かい心から詫びた。
私を本気で愛し、
私が心から
“親”
と思う両親に。
養母は私に、
お前は指もないし、これからまともな人生なんか歩めないのだから、これもっていきなさい。
母(養母)が私の目の前に封筒を差し出した。その封筒の中には300万円が入っていた。
私は小さい頃から母はいつも家にいるものだと思っていた。
いつも家で、朝から晩までたくさんの配線を何本も束ねてゴムテープでぐるぐると巻いている姿しか浮かばない。
いつも、いつも家にいた。
それは、自分の洋服を買うことも、旅行や食事に行くことも我慢して、家族の為に一生懸命に内職をしていたのだ。
私に手渡してくれた300万円は、きっと何十年も朝から晩まで一生懸命に内職をして貯めたお金だろう。
私はそのお金を握り締め泣いた
涙が止まらなかった。
ありがとう、ありがとう。。。。。
私は決意した。
今度母と会うときは、自分に自信がもてる人間になっていると。
私はもう一度、自分の道を歩き始めた。
たとえ今は気がついていなくても、考えることができなかったとしても人は必ず誰かに支えられながら生きている。
あなたも誰かを支えている。
皆さんの心の支えは誰ですか!?
その人にたまには優しくしてみては。私みたいに、心の支えだった人に
ありがとう
が言えなくなってしまわないように。