津軽味噌、誕生?の一説 by kogawamiso

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みそ汁風土記~縄文末期・津軽、亀ヶ岡遺跡みそ汁風土記から~部分抜粋~津軽・亀ヶ岡遺跡の出土品(赤うるし塗の壺は三千年以前の縄文末期の出土品で文化遺産である。その中に食品を塩漬けにして保存したのは云うまでもなく、この壺には塩と酒も混ぜて密封してあったのではないだろうか。この推理が間違っていなければそれは、今に伝わる秋田のしょっつるの前身であり醸造発酵のプロセスを経た加工食品に違いあるまい。魚介類の塩汁加工は、その頃の北津軽の生活には絶対必要なものと考えられ、風雪の厳しい彼らの生活を思うと一年の半分以上は漁業も狩猟も出来なかったので、彼らの生活で一番の悩みは食物を腐敗しないように貯蔵する事であり、そのためにやっと思いついたのが塩汁であったと、私は推理したわけである。 この臭気の強い醸造発酵食品の調味料になれた嗜好が、今の味噌を常食に定着させた味噌の素地ともいうべきものであり、東北・関信越にその味の伝統が根強いゆえんでもあろう。これらの味噌は天候に悩まされた東北地方の厳しい風土に生活するために、味噌のような保存食品の工夫は必然的に発明せざるをえなかったものであろう。従ってこれらの味噌は、食生活の最低線を守る、生きるか死ぬかの瀬戸際にあった貯蔵食品であり又、何でも手軽に食べられる為の調味料でもあった。中国や大和朝貴族の生活にあって美味を楽しむ料理の分野に愛情を注がれていた醤とは、まさに素姓の違うものであろう。)~~~