たったひとりの私の父親

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こんばんは★

早速、NAOさんのブログのご紹介!!
本日は番外編!

では早速!!

私が刑務所にいた時に届いた、
養母からの1通の手紙。。。。

私が刑務所に入っていることを
何故、知っているのかはわからなかった・・・・

たしか、養母と最後に会ったのは、
私が自殺未遂して入院していた時に駆けつけてくれ、
そして何も言わずに

゛ごめん、ごめん゛

だけを泣きながら繰り返し謝ってくれたとき。

私は届いた手紙を読むことなく自分の棚にしまっておいた。

刑務所で1年の月日が過ぎたある日、

ふっと養母からの手紙を思い出した。

私は1年ぶりに養母の手紙を取り出した。

封筒の中には数枚の便箋と、
汚い字で途中まで書かれた一枚のメモ紙が入っていた。

手紙には、

悪魔を育ててしまったという養母の後悔の気持ちと、
養父の死が書かれていた・・・

4年も前に養父は亡くなっていたのである、、、

養父は、軍鶏の喧嘩(博打)が大好きで、
家にはたくさんの軍鶏を飼っていた。

仕事は自営で建築系の仕事をしていたので、
顔は日に焼けて真っ黒(実際は肝臓が悪かった)、
毎日ボロボロで真っ黒な作業着を着ていた。

雨が降った日は、朝から酒を飲んでゴロゴロしている養父。

巨人が大好きで、巨人が負けると養母にあたる。

そして養親の喧嘩が始まる。

野球シーズンは、本当に喧嘩が耐えなかった。

私は小学校の頃から少年院を退院する日まで、

養父を恥ずかしと思っていたし、
養父は大嫌いだった。

養父なんか死んでしまえと思ったこともあった。

養母からの手紙には、

養父はある日の朝、
軍鶏に餌をあげている最中に倒れ救急車で運ばれた。

1年近く入院し、
亡くなるときには体重が半分にまでなるくらいまで
痩せこけてしまっていた。

喋ることができないくらい弱った体で必死に起き上がり、
養母にペンを取って欲しいという仕草をした。

養母はメモ用とペンを渡した。

養父はメモ用紙に

なおは元気な・・・・

までを書き残し、

息を・・・・

養父は最期に私を思い出してくれた。

どんな過去があったとしても、

私にとってたったひとりの

父親

であった・・・・

皆さん!

お父さんは皆さんのことを
ずっと守ってきてくれた人のひとりだと思います!

毛嫌いしないでたまには、

ありがとう!

言ってあげてくださいね!!