代官山駅直結型の大規模分譲タワーマンション。ザ・タワーをはじめとする集合住宅、
代官山らしく洗練されたショッピングゾーン「ディセ」、
温水プールなどもある公共施設「渋谷区代官山スポーツプラザ」などから構成される
都市型複合施設内に位置するオール電化型マンション。
交通
東急東横線「代官山駅」 徒歩 1分
日比谷線 「中目黒駅」 徒歩 10分
山手線 「恵比寿駅」 徒歩 10分
構造 SRC
階建て 36階建
所在地 渋谷区代官山町17-1
築年数 2000年08月
代官山アドレス 概要
代官山アドレスは、東京都渋谷区代官山町にある複合施設である。施設はタワーマンション、
商業施設、公共スポーツセンターなどによって構成されており、2000年(平成12年)8月に開業した。
所在地にはかつて存在した旧同潤会アパート36棟などの建替え、再開発によって建設された。
住宅部分は36階建の高層マンション、「ザ・タワー」を中心とする合計501戸があり、そのなかには再開発前からの居住者253世帯も再入居した。
さらに、ショッピングセンター「ディセ」や、渋谷区の公共施設「代官山スポープラザ」、
駐車場などが施設全体を構成している。また、旧同潤会代官山アパート時代より児童公園として存在した「代官山公園」が、
代官山駅の駅前広場と一体化する形で再整備された。
再開発においては都市再開発法に基づく組合施行の事業方式が採用され、
公共施設の整備や公開空地の設置などによって容積率の緩和や補助金の助成を得ている。
また、従前からの土地(建物)所有権利者による再開発事業組合「代官山地区市街地再開発組合」に加え、
鹿島建設と大成建設がデベロッパーとして事業を行った。
施設の設計は、日本設計とNTTファシリティーズによって行われ、鹿島建設と大成建設を中心とする共同事業体(JV)によって施工された。
また、施設ランドスケープの基本計画はロバート・ザイオンが担当してた。
敷地面積は17,262m2で、再開発事業では地下に東京電力の変電所も建設された。
ザ・タワー 概要
地下4階地上36階で、代官山アドレスの完成と同時期の2000年(平成12年)8月に竣工した。
総戸数は387戸でその半数近くは地権者用となり、残りの200戸が1999年(平成11年)の夏から分譲された。
建物高さは119.9メートルで、渋谷区内のマンションとしては
青山パークタワー(美竹町、2003年竣工、頂部の高さ120メートル)と並んで、最高層の建物となっている。
また、代官山地区においては唯一の超高層ビルであり、テレビドラマ『やまとなでしこ』(2000年、フジテレビ)をはじめ、
多くのテレビ番組のロケ地となっていることでも知られる。
代官山アドレスに建設されている集合住宅としては他に、「ジ・アネックス」(5階24戸)、「ザ・レジデンス・イースト」(13階42戸)、
「ザ・レジデンス・サウス」(10階30戸)、「ザ・レジデンス・ウェスト」(8階18戸)がある。
ディセ 概要
代官山アドレスの中心となっている商業施設であり、20以上の商店や飲食店などが入居している。名称の「ディセ(dixsept)」とは、
フランス語で“17”の意味であり、代官山アドレスの住所(代表)が、「渋谷区代官山17番地」であることに因んでいる。
「ディセ」の事業主は、この建物を所有する平和不動産(東京・日本橋)である。
渋谷区代官山スポーツプラザ 概要
再開発事業の条件緩和要件として建設された渋谷区の公共施設である。 屋内の温水プール2つ、屋外の幼児プールのほか、
卓球やエアロビクスなど各種スポーツのための多目的室などがあり、渋谷区の住民のほか、同区の在勤・在学者に利用資格が与えられている。
地下変電所 概要
代官山アドレスの地下には、再開発事業の一環として東京電力の変電所が建設されている。
この変電所は、渋谷区域を中心とした東京23区南東部に電力を供給する拠点変電所となっている。
代官山アドレス建設までの歴史
再開発前に存在した同潤会代官山アパートは、1923年(大正12年)に発生した関東大震災の救済機関として設立された財団、
同潤会によって東京・横浜地区の16ヶ所に建設された「同潤会アパート」のひとつであった。
敷地面積は5,976坪で、25%という建蔽率から豊富な緑を持ち、敷地の起伏を生かした傾斜地に2階建てと3階建ての
鉄筋コンクリート造りのアパート、公衆浴場、食堂などが配置されていた。
代官山アパートは大正14年、関東大震災によって大破した青山女学院の跡地に着工され、
昭和2年~3年にかけて36棟の建物が竣工した。
各アパートはモダニズム建築を意識した2-3階建ての近代的集合住宅で、
全36棟に337戸が設けられ、間取りの中心は2Kであった。震災の教訓から鉄筋コンクリート造が採用され、
娯楽室、食堂、水洗トイレ、ダストシュートのほか、自家水道施設や児童公園、公衆浴場なども備えられていた。
建設時には最先端の仕様であった各住宅であったが、平均の占有面積は10坪程度、
更には「6畳一間、トイレ共同」という住戸もあったことから、
大東亜戦争後には、「狭くて住みにくい」という評価が一般的となった。
昭和28年になるとアパートは住民らに払い下げられ、その後は各居住者による勝手な増改築が目立つようになったという。
老朽化が顕著となった代官山アパートでは昭和53年頃から建替えの話が持ち上がり、1983年(昭和58年)には
主に居住者らによって構成される再開発準備組合が設立された。
組合は事業協力者としてデベロッパーを募り、当初は6社のゼネコンが参加したものの、
事業の難航やバブル経済の崩壊を受けて撤退が相次いだ。
平成4年になると参加を継続するゼネコンは鹿島建設と大成建設の2社のみとなり、
再開発事業の断念も検討されたが、この頃東京電力が事業地地下に変電所を建設することを提案、これによって事業の実施が決定した。
実際の工事は1996年(平成8年)8月に始まり、2000年(平成12年)8月に完成した。
事業が難航した一因には、地権者が500名近くと多数であったことがあり、
再開発施設の中心としては当初、タワーマンションではなくオフィスビルが検討されていたという。
代官山という街の魅力
最新のライフスタイルが発信される代官山
恵比寿から駒沢通りを目黒方面に向かうと代官山。洒落たカフェやセレクトショップが並ぶ代官山町は恵比寿西の住宅街に隣り合う。
古くは同潤会代官山アパートが当時最先端の設備を取り入れたモダンなアパートとして憧れを集め、
昭和中期に誕生した東急代官山アドレスは高級賃貸マンションのはしりといわれた。長きにわたり時代のライフスタイルを先行してきたエリアでもある。
魅力1 世界の建築家から注目される都市づくり
日本を代表する建築家である槇文彦氏の代表作であるヒルサイドテラス(写真)、朝倉不動産により1969年から30年をかけて建設された。
この住宅、店舗、業務が混在する低層の都市づくりは、多くの建築家の共感を呼び、この地域では建築家が競い合い、日本有数の美しい街となった。
魅力2 新しいファッションの聖地
「代官山」はブランド化し、地域は恵比寿、中目黒にまで広がっている。若い女性の間では、憧れの街ナンバーワンと言われており、
台湾・韓国・シンガポールなど、リピーターの多い諸国では、海外にも知られた存在である。
魅力3 グルメの街
味・雰囲気・サービスともトップクラスなのに、値段は、リーズナブルなのが代官山の特徴。
国際的なレストランガイド・ザガットサーベイは、東京で1,486店を紹介しているが、
本地域は95店あり、全体の6.7%を占めている。渋谷駅でさえ、49店であり、自信をもってお薦めできるグルメタウンである。