写真展「黙示録、チェルノブイリから25年」を開催しました。そのアンケートをご覧ください。
2011年 6月 14日(火曜日) 11:32
写真展とトークショーをスタジオオンで開催しました。
「黙示録 チェルノブイリから25年」 写真家 中筋純さんと考える
写真展会期 平成23年 5月21日~22日
中筋純トークショ ー 平成23年 5月21日
会場 スタジオオン 東京都新宿区北新宿1-30-28
人々は科学と言うパンドラの箱の中に、文明と地獄に気がつきました。目に見えない毒を秘めた自然は理不尽なくらい美しい、燃え上がる秋、再生の春。
写真は一昨年キャノンサロンでの「秋」と、今年のニコンサロンでの「再生の春」の集大成です。
***************
取り返しのつかない原発事故がおきてしまいました。
現在進行形であり今後のことはまだわかりません。
チェルノブイリの教訓は、なぜいかせなかったのでしょうか。
私たちは、あまりに無知で無関心だったかもしれない。
そう思ったとき、チェルノブイリを取材し続ける写真家、中筋純さんをお招きして、私たちができることはなにかを、考えるひとときを設けたいと思いました。
写真展ではチェルノブイリの秋と春の様子を、トークショーでは中筋純さんが見て感じたチェルノブイリについてお話いたします。
合わせて震災、津波そして原発事故で翻弄される福島を、私たちのレポートで紹介いたします。
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黙示録 チェルノブイリから25年
偶然にも今回の写真展制作の追い込み時に東北地方太平洋沖地震が発生いたしました。撮影
旅行でたびたび訪れた浄土のような三陸の青い海が黒いヘドロのような津波となって、古き良き
日本の風情を残した小さな街を飲み込み次々と瓦礫の山にかえて行く姿を見て、しばし呆然と
してしまいました。時を同じくして福島県の原子力発電所も被災し、その安全神話が自然の
計り知れない力の前ではあまりにも無力であることを衆目に晒す結果となってしまいました。
ニュースで報じられる放射線量の数値を聞くたびに、事故後20数年経ってもガイガーカウンター
が鳴り響くチェルノブイリの大地のことを思い出しました。
初めてチェルノブイリを訪れたのは2007年の晩秋のことです。未だに放射線を放つ発電所の
石棺(事故後に原子炉を覆うために作られたシェルター)の辺りは赤や黄色の紅葉の絨毯に
敷き詰められ、人間が作り出した高度文明の墓場のようにその亡骸を晒していました。北から
吹く風は木々の葉を一枚一枚はぎ取って行き間近まで迫っている長い冬を予感させるには
充分でした。眠りにつくこの大地は次の春に目覚めるのだろうか?
そんな思いで再訪を果たした2009年5月。チェルノブイリの大地はうってかわって見渡す限り
の緑の絨毯が敷き詰められていました。廃墟の街に色とりどりの花が咲き、放棄された麦畑で
はヒバリのカップルが天高く舞い、森に入るとイノシシはウリ坊たちを引き連れてえさ場を探して
行進しています。世界に等しく訪れる春の光景をこんなにいとおしく思ったことはありません。
自然は核汚染を凌駕するかのような再生力で、人間が作り出した文明の抜け殻を飲み込んで
行くようです。
くしくも今年はチェルノブイリ事故から25年になります。四半世紀を経たかの地の春の姿を、
ありのまま伝えようという趣旨のもと当個展を企画しましたが、地震による原発事故という予期せぬ事態が発生しました。
一時は個展開催を再考しましたが、今私ができることは遠きチェルノブイリの大地が発するメッセージを皆様にお見せすることではないかと催行を決めました。
電力の恩恵を享受しているものの対極にある原発による核の恐怖。容易には解決できない
人類に与えられたジレンマのような命題を今後どのように解決して行くのか。チェルノブイリの緑
の大地はヒントを与えてくれるような気がしてなりません。 中筋純
****************
中筋 純(なかすじ・じゅん)略歴
1966年和歌山県生まれ
智辯学園和歌山中学高等学校をへて、東京外国語大学中国語学科へ
大学在籍中より、海外を放浪し、独学で写真技術を習得
卒業後出版社勤務の後、中筋写真事務所設立
ストリートファッション雑誌、アパレル広告をメインに
映画スチール、舞台広告、CDジャケット撮影など幅広いジャンルで活躍
廃墟撮影はライフワークでもあり著書に『廃墟チェルノブイリ』『廃墟探訪』(二見書房)
『廃墟本1』『廃墟本2』(ミリオン出版)、『廃墟彷徨』(ぶんか社)
『廃墟、その光と陰』『愛という廃墟』(いずれも共著、東邦出版)
***************
多くの方にご来場いただき、アンケートを書いてもらいました。
アンケートの一部ご案内いたします。
10代
こわかったです。今まで「チェルノブイリは原発のじこがあったんだ」とお母さんから聞いたことがありました。けれど、あんまりよくわかりませんでした。けれど今日、写真を見て少し原発の怖さがわかったようなきがします。
20代
たまたま手に取った本をきっかけに、この写真展へ巡り合わせて拝見しました。本とは、またちがう空間であっとうされました。「悲しみ」を感じます。でも、それ以上に、やはり目に見えない、あたたかい「光」を感じます。
20代
原発周辺は枯れ野だと思っていたので、木が生い茂っていて驚きました。自然の生命力を強く感じました。廃墟の中の、骨組みだけになったベットが並んでいる写真が印象に残りました。壁紙がボロボロになっていて廃材がたくさん転がっていて、凄惨な光景なのに、どこか美しいと感じました。作者の中筋さんと直接お話できてよかったです!ご紹介ありがとうございました。
20代
アレクレセイと泉を見て、チェルノブイリについて興味をもっていた折、この写真展を見つけました。DVDの中の悲しみの大地という言葉に、なんだかイライラした。(中筋純さんの)写真を見て続いているものもちゃんとあると思いました。勝手に悲しみに終わらせちゃいけない気がした。
20代
チェルノブイリに関しては恥ずかしいほど知識がなかったので、とても良い経験となりました。25年も経っているのに未だに立ち入り禁止なのですね。TVなどでも毎日専門家の人たちが「原発は危険でこのような事態は予測していた」などど、後出しジャンケンのようなことを言ってますが、どうなんだろう??問題なのは「原発は絶対に安全」といった安全神話でしょう。
20代
ほんとうに良い空間になっていました。少し元気をもらえました。
30代
すばらし写真展にお誘いいただきありがとうございました。
トークショーも興味深く拝聴しました。
30代
原発事故後、被害にあった地域の姿を知りたくて見に来ました。その場所だけ時が止まって朽ちていく感じがしました。全く人の気配が感じられない、不気味な印象を受けました。
40代
有意義な時間をありがとうございます。とても 思った以上に勉強になり、中筋さんの話も興味深いものでした。一緒に行った会社の人も「貴重な写真を見せていただいて ありがとうございました。悲惨さより、植物の強さが印象に残りました」と話していました。
50代
娘と拝見しました。子供達に、この先もずっと伝えていかなければならない貴重なメッセージだと思いました。素晴しい時間をありがとうございました。
60代
知らないことが知らないうちに起こっている。
気がついたら我々は危険のまっただ中にいた。
貴重な情報を発信していただいてありがとうございました。
今後も原発を注視していきたいと思います。
60代
福島もあのようになってしまうのか?と思いながら見ていました。
70代
胸に迫る思いが致しました。原発の怖さをもっと強く、日本中(日本人は知らなすぎました)そして世界に発信して下さる事を、お願いいたします。この企画を感謝申し上げます。
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スタジオオンは撮影スタジオですが、クロスオーバしていろんな企画致します。面白いお話をお待ちしています。
今回の写真展、トークショーに賛同していただいた中筋純さん、広報していただいたマップカメラ、ヨドバシカメラ、東京新聞、コマーシャルフォトをはじめ、設営を手配を手伝った方々にお礼申し上げます。
スタジオオン
代表取締役 下光彰二
「黙示録 チェルノブイリから25年」 写真家 中筋純さんと考える
写真展会期 平成23年 5月21日~22日
中筋純トークショ ー 平成23年 5月21日
会場 スタジオオン 東京都新宿区北新宿1-30-28
人々は科学と言うパンドラの箱の中に、文明と地獄に気がつきました。目に見えない毒を秘めた自然は理不尽なくらい美しい、燃え上がる秋、再生の春。
写真は一昨年キャノンサロンでの「秋」と、今年のニコンサロンでの「再生の春」の集大成です。
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取り返しのつかない原発事故がおきてしまいました。
現在進行形であり今後のことはまだわかりません。
チェルノブイリの教訓は、なぜいかせなかったのでしょうか。
私たちは、あまりに無知で無関心だったかもしれない。
そう思ったとき、チェルノブイリを取材し続ける写真家、中筋純さんをお招きして、私たちができることはなにかを、考えるひとときを設けたいと思いました。
写真展ではチェルノブイリの秋と春の様子を、トークショーでは中筋純さんが見て感じたチェルノブイリについてお話いたします。
合わせて震災、津波そして原発事故で翻弄される福島を、私たちのレポートで紹介いたします。
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黙示録 チェルノブイリから25年
偶然にも今回の写真展制作の追い込み時に東北地方太平洋沖地震が発生いたしました。撮影
旅行でたびたび訪れた浄土のような三陸の青い海が黒いヘドロのような津波となって、古き良き
日本の風情を残した小さな街を飲み込み次々と瓦礫の山にかえて行く姿を見て、しばし呆然と
してしまいました。時を同じくして福島県の原子力発電所も被災し、その安全神話が自然の
計り知れない力の前ではあまりにも無力であることを衆目に晒す結果となってしまいました。
ニュースで報じられる放射線量の数値を聞くたびに、事故後20数年経ってもガイガーカウンター
が鳴り響くチェルノブイリの大地のことを思い出しました。
初めてチェルノブイリを訪れたのは2007年の晩秋のことです。未だに放射線を放つ発電所の
石棺(事故後に原子炉を覆うために作られたシェルター)の辺りは赤や黄色の紅葉の絨毯に
敷き詰められ、人間が作り出した高度文明の墓場のようにその亡骸を晒していました。北から
吹く風は木々の葉を一枚一枚はぎ取って行き間近まで迫っている長い冬を予感させるには
充分でした。眠りにつくこの大地は次の春に目覚めるのだろうか?
そんな思いで再訪を果たした2009年5月。チェルノブイリの大地はうってかわって見渡す限り
の緑の絨毯が敷き詰められていました。廃墟の街に色とりどりの花が咲き、放棄された麦畑で
はヒバリのカップルが天高く舞い、森に入るとイノシシはウリ坊たちを引き連れてえさ場を探して
行進しています。世界に等しく訪れる春の光景をこんなにいとおしく思ったことはありません。
自然は核汚染を凌駕するかのような再生力で、人間が作り出した文明の抜け殻を飲み込んで
行くようです。
くしくも今年はチェルノブイリ事故から25年になります。四半世紀を経たかの地の春の姿を、
ありのまま伝えようという趣旨のもと当個展を企画しましたが、地震による原発事故という予期せぬ事態が発生しました。
一時は個展開催を再考しましたが、今私ができることは遠きチェルノブイリの大地が発するメッセージを皆様にお見せすることではないかと催行を決めました。
電力の恩恵を享受しているものの対極にある原発による核の恐怖。容易には解決できない
人類に与えられたジレンマのような命題を今後どのように解決して行くのか。チェルノブイリの緑
の大地はヒントを与えてくれるような気がしてなりません。 中筋純
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中筋 純(なかすじ・じゅん)略歴
1966年和歌山県生まれ
智辯学園和歌山中学高等学校をへて、東京外国語大学中国語学科へ
大学在籍中より、海外を放浪し、独学で写真技術を習得
卒業後出版社勤務の後、中筋写真事務所設立
ストリートファッション雑誌、アパレル広告をメインに
映画スチール、舞台広告、CDジャケット撮影など幅広いジャンルで活躍
廃墟撮影はライフワークでもあり著書に『廃墟チェルノブイリ』『廃墟探訪』(二見書房)
『廃墟本1』『廃墟本2』(ミリオン出版)、『廃墟彷徨』(ぶんか社)
『廃墟、その光と陰』『愛という廃墟』(いずれも共著、東邦出版)
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多くの方にご来場いただき、アンケートを書いてもらいました。
アンケートの一部ご案内いたします。
10代
こわかったです。今まで「チェルノブイリは原発のじこがあったんだ」とお母さんから聞いたことがありました。けれど、あんまりよくわかりませんでした。けれど今日、写真を見て少し原発の怖さがわかったようなきがします。
20代
たまたま手に取った本をきっかけに、この写真展へ巡り合わせて拝見しました。本とは、またちがう空間であっとうされました。「悲しみ」を感じます。でも、それ以上に、やはり目に見えない、あたたかい「光」を感じます。
20代
原発周辺は枯れ野だと思っていたので、木が生い茂っていて驚きました。自然の生命力を強く感じました。廃墟の中の、骨組みだけになったベットが並んでいる写真が印象に残りました。壁紙がボロボロになっていて廃材がたくさん転がっていて、凄惨な光景なのに、どこか美しいと感じました。作者の中筋さんと直接お話できてよかったです!ご紹介ありがとうございました。
20代
アレクレセイと泉を見て、チェルノブイリについて興味をもっていた折、この写真展を見つけました。DVDの中の悲しみの大地という言葉に、なんだかイライラした。(中筋純さんの)写真を見て続いているものもちゃんとあると思いました。勝手に悲しみに終わらせちゃいけない気がした。
20代
チェルノブイリに関しては恥ずかしいほど知識がなかったので、とても良い経験となりました。25年も経っているのに未だに立ち入り禁止なのですね。TVなどでも毎日専門家の人たちが「原発は危険でこのような事態は予測していた」などど、後出しジャンケンのようなことを言ってますが、どうなんだろう??問題なのは「原発は絶対に安全」といった安全神話でしょう。
20代
ほんとうに良い空間になっていました。少し元気をもらえました。
30代
すばらし写真展にお誘いいただきありがとうございました。
トークショーも興味深く拝聴しました。
30代
原発事故後、被害にあった地域の姿を知りたくて見に来ました。その場所だけ時が止まって朽ちていく感じがしました。全く人の気配が感じられない、不気味な印象を受けました。
40代
有意義な時間をありがとうございます。とても 思った以上に勉強になり、中筋さんの話も興味深いものでした。一緒に行った会社の人も「貴重な写真を見せていただいて ありがとうございました。悲惨さより、植物の強さが印象に残りました」と話していました。
50代
娘と拝見しました。子供達に、この先もずっと伝えていかなければならない貴重なメッセージだと思いました。素晴しい時間をありがとうございました。
60代
知らないことが知らないうちに起こっている。
気がついたら我々は危険のまっただ中にいた。
貴重な情報を発信していただいてありがとうございました。
今後も原発を注視していきたいと思います。
60代
福島もあのようになってしまうのか?と思いながら見ていました。
70代
胸に迫る思いが致しました。原発の怖さをもっと強く、日本中(日本人は知らなすぎました)そして世界に発信して下さる事を、お願いいたします。この企画を感謝申し上げます。
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スタジオオンは撮影スタジオですが、クロスオーバしていろんな企画致します。面白いお話をお待ちしています。
今回の写真展、トークショーに賛同していただいた中筋純さん、広報していただいたマップカメラ、ヨドバシカメラ、東京新聞、コマーシャルフォトをはじめ、設営を手配を手伝った方々にお礼申し上げます。
スタジオオン
代表取締役 下光彰二
登録者:shi3670
カテゴリー:
プレスリリース配信