【スピーチ全文】世界で類をみない10万人修了式スピーチ全文を公開

2022年 12月 06日(火曜日) 19:04

新天地イエス教大阪教会では、2022年12月6日に、11月20日に行われた10万人修了式でのスピーチ全文を、大阪教会のブログに公開しました。

新天地イエス教あかしの幕屋聖殿(以下、新天地イエス教会)は、2022年11月20日に世界でも類を見ない出来事である2度目の10万人修了式を実施しました。
新天地イエス教大阪教会では、修了式での総会長によるスピーチ全文をブログにて公開しました。
https://ameblo.jp/scj-osaka/entry-12777959107.html


■スピーチ全文
はい、今日、とても天もきれいで良い日、この修了式に多くの貴賓たちが祝福してくださるために来てくださいました。感謝申し上げます。

これから、聖書の御言葉を通して神様の御心も知るようになり、私たちの希望の結果もわかったことを信じます。

私たちも新しい人となり、以前の人を脱いで新しい人を着て、真に私たちの願い、神様の願いが成し遂げられることを信じます。皆さんお座りください。

神様は、天地万物を創造され、人も創造されました。しかし、背教の神によって人が惑わされ、神様はこのことによってこの地球村を離れ去られてから6,000年にもなりました。その神様は、神様が創造した地球村に戻ってくるために、これまで働いておられました。今は全ての事を終え、本当に神様が帰って来るときになったと思います。

人は、一つの神の家といっても過言ではありません。来られた神様が人々と共にするならば
本当に良い人になるでしょう。そして今、待っていた神様だけでなく天国も来られるそうです。そうなれば、この地球村が平和の世界になるでしょう?また自由の世界になるはずです。

このような世界が目の前に近づいてきて、またこの地に来られることになるということを神様の御言葉で私たちが知ることになったのです。そうですね。

今日修了する10万修了生の皆さん、勉強しながら苦労もたくさんしましたが、希望が成し遂げられるようになりました。

このような希望を成し遂げるために、また、得るために、この地球村では、数多くの信仰している人々がいますね。人命天に在り、富貴天に在りという言葉がありますが、そのように福の根源である神様と天国がこの地の天国に来られるということです。

それで神様の本である聖書を通じてこのすべてを知りました。分かりました。

その天国が順理に基づいて先に成し遂げられること、その次に成し遂げられること、その次に成し遂げられること、成し遂げてきましたが、私が聖書を見て、現在成し遂げられたことを段階的に見れば、約80%以上成し遂げられたとみます。そうです。

それならば、この地球村も、これから良い地球村になるでしょう?地球村の主人が来られるのですね。地球村を創造した方が来られるのです。それで、人が知っていようが知らなかろうが、これから創造主である神様が来られるようになれば、全てが良くなるでしょう。

人が全ての事をおこなってきましたが、これでは満足できませんでした。しかし、神様が統治するようになれば、全てがうまくいくでしょう? そうですね。それで、このような全ての事を神様が成し遂げるためにたくさん努力され、長い歳月がかかってきましたが、今は終わりが来たのです。

終わりが来ました。地球村のどんな宗教も、皆、神様を信じますね。神様を信じます。誰もが自分たちが信じられるから、信じていると思います。神様が来られれば、全てが終わるでしょう。全て、終わります。

皆さん、今私たちはこの聖書という本を勉強してきましたが、なぜしてきたのですか?神様を知るためのものでしたね? また、自分自身を知るためのものでした。もう一つは、神様が来られる過程や神様が来られることで何がどのようになるかということを、私たちが知るようになるものです。まさに、そのようなものです。

この世には、科学を通して多くのものを作りました。もちろん、生きるために努力したことでしたが、神様も、この地球村の全ての事を創造した主人ではないでしょうか。誰よりも神様が来られるなら、もっと愛するでしょう?それだけでなく、良い世の中になるでしょう? はい。

信仰をしていない人は、信仰人の心を全てわからないでしょう。そうですね。私たちは、聖書という本だけが、神様の本だとも言います。しかし、この本に精通する人もいれば、精通できない人もいるのです。そうですね。

皆さん、勉強を少ししてみると、この啓示録(黙示録)を知ってみると、昔より神様と自分自身とこの世を知る知識がより増しましたよね? そういうことです。

それで、今日私たちは、どのような人になるべきなのかということです。神様が望む人にならなければなりませんね?

そしてまた、神様が再創造、2回目の創造、再び生まれる創造、これが神様のかたち通りに創造されたので、新しく創造される人も、神様のかたち通りに創造されるでしょう。そうならなければなりません。

神様の子であるイエス様も、神様のかたちに似ていますよね?ところで、何でそうなったのでしょうか、これです。

初めのことばがありましたが、そのことばが神様でしたね?神様の子であるイエス様も、初めのことばでできたんですよね?そうです。そうならば、今日の私たちも、初めのことばで全てが再創造されると信じています。その通りですよね?そうですね。

私は本来、信仰をしていませんでした。田舎で農業をして暮らしていました。しかし、信仰をしなかったけれど、神様の前で祈りました。祈り。祈るようになったのは、様々な理由もありましたが、とにかく祈りをしました。

そこで、私が望んでいた方が、祈っているところに来られました。それで、会うことになりました。その方は一つの光でした。ただの星とも言われたけれど、とても明るい星で、見ることができないほど、その光の力が強かったです。それで、その光によって、その星によって、信仰をするようになりました。一般的な信仰ではありません。私は韓国、ひいては世界全てのキリスト教徒に聞いてほしいです。キリスト教徒に聞いてもらいたいです。

私も、かつては信仰人ではありませんでした。それなのに信仰をするようになったのですが、神様もお一人で、イエス様もお一人で、この本も一冊です。聖書という本は一冊です。だから、私たちが神様を信じるというならば、同じ聖書をもつ人として、同じ天国と神様を望む人として、互いに争い戦うことは、あってはならないでしょう?聖なる国、天国に行こうとする人です。このような人が争って戦って悪口を言ってはいけないのではないでしょうか。第一に、そんな人を神様が受け入れてくれるでしょうか。受け入れてくれないですよね? 受け入れてくださいません。それで、私たちが一番望むことがあれば、神様の種で生まれるべきですね?

イエス様も、神様の種で生まれた神様の子です。神様の種がどんな形をしているかというと、私たち新天地の人々は説明してくれるでしょう。そのように発達しました。それで、神様の種で生まれたら、神様の子どもになりますね?そういうことです。それで、神様もイエス様も御言葉から生まれたので、神様の子になった私たちも、神様の御言葉で生まれるべきですよね?

ところで神様は、神様の種は神様の御言葉だと言われましたよね?私たちも神様の種で生まれ、初めのことばで生まれるならば、私たちも神様のように、イエス様のように、そのように、聖なるものとなるでしょう。そうです。

イエス様がくださった御言葉の一節を見ると、ヨハ15章にそのような御言葉があります。話してくださったイエス様の御言葉。話したことばによってもうきよいと言いますよね?そういわれたのです。すると、この御言葉の中に命があると言われたので、この御言葉が心の中にあれば、いのちがあるということになりますね?そうです。それだけでなく、その御言葉で私たちの罪、過ち、これがきよくなったとしたら、その御言葉が必要ですよね?それで、聖書を参考にする、御言葉を信じるというのは、そういう理由があるからです。

神様の種で生まれなければならないのに、どういうふうに神様の種で生まれるのですか?そう思いますが、もう私たちは神様の種を知りましたよね?

何が神様の種なのかを知ったのです。だから、その種で生まれた人は、神様の子になるでしょう。神様の種で生まれたら、神様の子になって、神様の種で生まれなかった人は、神様の子ではないですね?それで、人の価値観というものを見ると、神様の種で生まれた人が一番価値があるでしょう? それで、どうして神様の種で生まれられるでしょうか?そうではないですか?

昔、イエス様が再び生まれると言われたら、どうして人が再び生まれられるのかと聞いた人がいましたね? そうですね。しかし、その神様の種でどのように再び生まれるかを、イエス様が教えてくださいました。そうです。

しかし、神様の種で生まれると、神様の種で生まれた人を御使いが来て連れていく、収穫することがあるということです。どこに連れていくのですか?神様の家に連れていくでしょう?そうです。

それで、神様の種で生まれた人と神様の種で生まれなかった人は違うでしょう?スイカを割ると、スイカの種が入っています。神様の種がある人は、中に神様の種があるでしょうか?神様の種で生まれた人は、神様の種がその中にあるはずです。それで、今神様の子になって、再び生まれることも私たちが学んで、もうわかっていますね。知っています。

それだけでなく、神様も戦争することは嫌でしょう。戦争。もうするべきではないのに、相手がいるから何度もするようになるんですね?そうです、相手がいなければ、もう喧嘩はしませんね?

それで、私が何の話をするのにこんなことをいうかというと、皆同じ神様を信じて、皆同じ世の中に住んでいるので、私たちは皆同じ神様の御言葉、聖書を持っています。だから、私たち信仰人は、お互いに争わなければ良いのです。お互いに争わなければ良いですね。そして、過ちがあれば、私に来てくださいと言って、これは誤りではないか、これで良いのか、神様を信じる人がそのように確認しなければなりません。これが事実上の過ちであれば、それを聞いて自分の行動を見直そうとはしませんか?その考えを変えなければなりませんよね?そうです。しかし、やってみなければわからないと言います。正しいこと、正しくないこと、このような全てのことは、一堂に会して話してみれば全てわかるでしょう。

それで、私はこの時代に生きている、同じ時代に生きている私たちは皆同じ聖書を持っています。ですから、全ての牧師にお願いしたいと思います。私にどのようなことを言っても、反感を持ちません。しかし、ただ一つ望むことは、会って対話すべきではないでしょうか?

イザ1章を見ると、神様は何と言われましたか?論じ合おうと言われましたよね?論じ合おうと。お互いにやりとりをして対話しようと、そう言われました。ですから、お互いに過ちを知るためには、対話をして解決しなければなりません。そして、神様の同じ聖書を持って信仰する人が、間違っている理由もありません。

また、この聖書を基準にいくらでも間違っていたら直すこともできますね?そう思います。直すこともできます。今日、ここ新天地12枝派10万人修了式シオンキリスト教宣教センター113期と書いてありますよね。これを見ていると、私たちがこの宣教センターに来て勉強をする前と宣教センターに来て勉強した後の考えが違うでしょう。考えが変わったはずです。昔はただ信仰するというこの言葉で「信仰人」として認められてきましたが、実は神様の種で生まれなければなりませんよね?また収穫されないといけないですね?そして印を押されないといけないですね?そして、神様の国12枝派に登録されなければならないですね?

いくら自分が偉い存在だと騒いでも、神様の御言葉を廃棄することはできないのではありませんか?神様の御言葉は念を押しています。まるでハンコを押しておいたようにです。これは変えたり無くすことはできません。そのため、この聖書という本がある限り、この御言葉で自分の過ちを知ることができます。では、過ちをしたからといって殴って殺さなければなりませんか?
違いますよね?直さないといけないのではないですか?「先輩」という言葉はなぜあると思いますか。そうしてお互いに過ちを拭いてあげたり、洗ってあげたりするように、お互いに過ちがあればどんなことでも解決はできません。神様の御言葉、聖書の御言葉だけで解決できますね?

他の道の言葉を一つ見ると、「天擇之人三豊之穀火雨露」という言葉があります。 どんな意味かというと、「天擇」天が選んだ人はただの人ではなく、永遠に生きる食物を持ってきてこれを、人々に伝える使命を持ってくるのです。ただ無条件に神様が送ったとか神様がどうだこうだというのではなく、すでに神様が預言しておいた内容を見ると、神様が選んで送った者は永遠に生きる食物を持ってくるということです。ただ、豊かに暮らしているということではなく、永遠の命です。ところで、それを「火雨露」というから、「火、露、雨」、ということですね? それがどういう意味なのか、雨も降ったり、そういうことかなと思えるでしょう。しかし、それは雨とは違うでしょう?ただの水とは違うでしょう。それで、それを持ってくるのに、それを一口ずつ飲めば永遠に生きるということです。すると、どの「道」も永遠の命というものをよく言います。永遠に生きること。しかし、永遠に生きる人は一人も見たことがありませんね?見たことがありません。

ですが、その言葉が実体として成し遂げられる時は、永遠に生きる人もいるでしょう。それもその事実を知っている人があまりにももどかしいから「世人何知」と言いました。「世人何知」とはどういう意味ですか?「世の人は知る由もない」そういう意味です。そうです。それだけでなく、「太古以後 初樂道」。このように言います。天が選んだ人が持ってくる食物、その言葉、これは世が初めて出来てから一番楽しい道という意味ですよね?では、そのようなものを持ってくる人が一人いたらいいですね?そうではないですか?いいでしょう。そのような永遠に生きる食物は、どんなに良かったら死なないのか、ということなんです。それで何と言うかというと、「死末生初」と言います。「死末」だから死が終わるということで、「生初」という言葉は生きることが初めてある。そこがどこですか?だからそれを何かの名称で言うよりは「新天地」と言いました。新天地とはどんなものですか?

以前の天、以前の地がなくなりますね?なぜなくなるのかということです。これは間違ったことだから変えるのです。新しい天、新しい地という言葉です。以前の天・地ではなく、新しい天・新しい地という言葉ですが、それなら言葉だけでなく、新しい天、新しい地が実際になければなりませんね?なければなりません。新しい天、新しい地、そこから「死末生初」という言葉があり、それだけでなく天から来た人は自分がただああだこうだと言うのではなく、何かがないといけないですね?ただ送るのではなく、永遠に生きる食物を与えて、それを食べさせ、多くの人が死なないようにしろということです。他の点でも見られますが天から来た人は神様が食物を与えて送ります。ところが、それ以前に他の内容を一つ見ると、このイエス様の重要な働き一つがありますが、それはイエス様が来られる以前の本ではなく、イエス様来られてから以後の本であり、イエス様がこの地に来て亡くなった後の本です。啓示録(黙示録)ということです。これは(韓国語の聖書で)12枚くらいあります。

そんなに多くもない小さな本なのに、それがこの世の一つの世を終えて新しい一つの世界を創造される内容が書かれているのです。しかし、この世はなぜなくなるのか。この世は長く続かないから、良くないから捨てて、新しいものを一つ作るのです。それでそれを新しい天・新しい地という言葉を付けています。ところで、それが「新しい天・新しい地」という言葉だけ言うのではなく、それ以前に戻ってみれば食べて永遠に死ななければどんなにも良いでしょう。天が送った人はただ見物するために送ったのではないということです。何か働きをさせるのです。神様が食物を与えてこれを持って行って人々に伝えなさいと言えば、この人は神様のさせる働きをすることであり、食べて永遠に生きることができることを神様がくださるのではないですか。そういうことです。それでこの啓示録(黙示録)にもどんな言葉があるかというと、この本の内容の言葉を一つでも加えると天国にも行けず呪いを受けると書いてあります。

私は率直に言うと悪口もたくさん言われます。しかし、私がこの韓国にいる牧師たちに申し上げます。牧師の皆様はこの啓示録(黙示録)を加除しませんでしたか?加除すれば天国に行けず呪われると言ったのに、加除しましたか?しませんでしたか?

私が見たところ、皆加除しました。一人も加除しない人はいません。それなら、これではいけないから、もう加除しないようにさせないといけないのではないですか?加除せず精通しなければなりませんよね?精通します。私がこう言うと自分の自慢をするとか、自分の教会を自慢すると言うかもしれないですが、新天地の人たちは顔を全部見ると世の中の人より偉そうなことは一つもありません。全部偉くないです。しかし、その中身は違います。新天地の人々は皆、精通しています。啓示録(黙示録)この一冊のことです。どう精通するというのか。ただ文字を覚えるということではありません。この内容をすらすら覚えるほど知っていますが、その内容通りに成し遂げられたこともすべて知っているという言葉です。ただわかって終わりではないですね?自分にも成就しないと。そうではないですか。自分になされなければならないのです。

神様が嘘をつくような神様ではありません。それで、私たちがこれを知らずに加除すれば天国に行けず、呪いを受けると言ったので、知らなければなりません知らなければなりません。

ですが知りたくても、誰かが教えてくれる人がいないと分かりませんね?知りたい人がどんなに知りたくても、教えてくれる人がいなければわかりません。わからないのです。しかし、新天地の人々は精通すると言いました。精通。啓(黙)1章ではイエス様が七つの星を持って現れました。ところが、この七つの星はイエス様が啓(黙)2、3章で送った七人の使者だと言いました。7人の使者。ところが、この7人の使者が罪を犯しました。そのため、一人を選んで罪を犯している人々に間違ったことを知らせて、悔い改めて、再び生まれ変わりなさいと手紙を送るように言いました。皆さん、その人たち、罪を犯したというイエス様の手にあった7つの星、7人の顔が誰か知っていますか?名前を知ってますか?私は全部知っています。その人はまだ生きています。韓国に。

このようにすべてが生意気な言葉をいうのではなく、事実通りに知って話すべきですね?それで、一つでも加除してはいけないと言ったので、この啓示録(黙示録)は精通しなければならないですね?一つでも加除したら天国に行けず呪われます。神様は嘘をつく方ではないですね?

ですから、始めから啓示録(黙示録)まで、その言葉の意味だけを知るのではなく、その言葉の実体まで知る必要があります。知らなければなりません。啓示録(黙示録)には背教者、滅亡者、救い者が現れ、互いに戦争して戦います。ところで、誰が神様の味方なのか、知らなければならないですね?それで、ただ口先だけの信仰時代ももう終わったので、それでは天国に行けません。行けません。そして、この聖書の真の意味を知っている人がいるなら、真の意味を知らない人は昼夜を問わず異端だと悪口を言うのではなく、会って確認してみなければならないですね?本当に啓示録(黙示録)を精通して、学んで呪いを受けず、天国に入る人になるべきではないですか?そうしないといけません。皆さんはいかがでしょうか。この御言葉を伝えようとすると、悪口を言ったり、ののしったりするから、誰が伝えようとしますか?行く途中でも後ろ向きになるでしょう。あなたたちのために教えようとしているのに、悪口をするからそこには行きたくないですね?

そうしてはいけないですし、お互いにイザ1章のように対話で解いていかなければなりませんね?この聖書の御言葉を基準にして解いていかなければなりません。お互いに理解しなければならないですね?ただ聖書でも関係なく下品な言葉で呪いをかけてはいけません。神様を信じるという人が、聖なる神様の本を持ってみているという人が、昼夜も呪いをしたり悪口を言ったり、これは豚より劣るのではないでしょうか。考えてみてください。豚は捕まえて食べることはできるけど(そのような人は)食べることもできないし、そうしてはいけません。私は一度や二度だけ言ったのではありません。韓国のすべての牧師の皆さん、一つになりましょう。一つになりましょう。喧嘩はやめましょう。この聖書を持ってこれから対話しなければなりません。そうしなければなりません。いくらでも道があるのに、どうして道を変えなければならないのですか。変えてはいけません。正しい道に行かなければならないですね?

ですから、私たちが対話で解いていかなければならず、お互いに助け合わなければなりません。 それが本当に先知者だと言われるでしょう。そうなります。私はそれを望んでいます。それで、この啓示録(黙示録)も精通したなら、本当なのかどうかを確認しないといけません。確認してみなければなりません。すでに12枝派が全世界に向けて啓(黙)1〜22章まで講義を終えました。もう全部教えました。教えなかったのではありません。教会に行っても、入れないようにするから仕方なかったのです。世界的に今は映像で全て教えてあげたのです。そのように私たちは神様の御心の中で、「神様、神様」と信じていたのですが、信じるという価値は何ですか?望みが叶わないといけませんよね?願いが叶ってこそ、信仰の価値があるのです。牧師のみなさまを非難しているわけではありません。知らなければ、皆同じなのです。

この聖書には種を蒔く時があり、収穫する時があるのです。しかし、いくら神様の種をもらったり、悪魔の種をもらっても、二つの種が蒔かれて、御使いが来て神様の種で生まれた人だけを連れて行ったのです。神様の種になっていない人は連れて行かなかったということです。ところで、この教会に二人がいたんですが、この二人はとても仲が良かったです。ある日一人は見えなくなって、一人だけが残っています。では連れて行った人、連れて行かなかった人、このように二人いますが、この聖書は何と記録されていますか。連れて行った人が神様の種で生まれた人ですよね?収穫されなかった人は神様の種で生まれた子ではないということです。これがそうだ、そうではないとか牧師も答えてみてください。このような内容を中心に対話しようということなのです。教会に残るのが本当か、収穫されていったのが本当か。そういうことではないですか?一つだけで、意地を張るのではありません。これらの人々が収穫されようとするなら、第一は神様の種で生まれなければなりません。二つの種の中でどの種で生まれたのか分からないなか、二つが一つの畑にあるのです。知らないといけないですね。

それで神様の種で生まれた人は連れて行き、神様の種ではない人は連れて行かないと言いました。それなら、神様の種で生まれた人、神様の種で生まれてない人の結果を見るためには、収穫の時に分かるのではないかという話です。分かることができます。しきりに人の考えででたらめなことを言ってはいけません。この聖書を基準に解決しなければならないですね?いくら腹が立つと言っても胸ぐらをつかんで喧嘩したとしても、解決できることではないですね?それで、全ての牧師の方々にお願いすることは、是非を問わず、私たちが対話して一つになりましょうと話したいのです。罪のない人がどこにいますか。だから、ああだこうだするのはやめて、私たちが一つになって聖書を基準で一つになろうという話です。そうなるべきです。訳もなく聖なる口で悪口ばかりを言っても仕方ないです。それで、聖書を置いて聖書を基準で一つになりましょうという話をしているのです。

お話を終わらします。報告する時間でもないし、そうですね。しかし、どうせ10万修了というのは聖書を勉強して修了するのではないですか。それで修了生たちが勉強するのために苦労もたくさんして、迫害の中で勉強するために困難も多かったと思います。教える人も苦労して、学ぶ人も苦労しました。しかし、学んだから良いですね?知らない時より習ってみたらとてもすっきりではないですか。何も知らない人が学校に行って一つ一つ学んだら、学ぶ前よりももっと学んだ方がいいですね。そのようにこの聖書も同じです。学んでみるともっと良いでしょう。ところで皆さん、最後まで神様の御言葉を守る者にならなければなりませんよね?いくら良いものを持っても失ったら無駄ではないですか。最後まで守らなければならないです。最後までです。

しかし、目的の完成のその日までにしなければなりません。その日までにしなければなりません。でも、良いことがあれば悪いこともあり、妨害者もいるのではないですか。だから最後まで守って打ち勝たなければなりませんよね?ということです。だから聖書を知らなければ死んだ人と同じです。なので、この御言葉自体が命です。御言葉があれば命があるということです。ただ私のことが生意気なこと言うように見えるかもですが、事実を知らせるために言う言葉です。この新天地の人々は、この啓示録(黙示録)の本1冊に精通します。皆さん、掴んで一度聞いてみてください。そうです。天と地のような違いになるでしょう。だから、新天地の人々もとても苦労しました。今日修了される方々も10万修了だと言いますが、この多くの人たちも最初は不信者に違いありませんでした。そのような人が数ヶ月勉強してからは全く違う新しい被造物になったのです。新しい被造物になりました。この事を皆さん知らないといけないですね。

私はいつが一番楽だったかというと、田舎で農業をして何も知らずに田舎の農業だけをしていたその時が一番楽だったと思います。この御言葉も少しでもわかるようになると、色々考えてしまいます。私は昨日の夜、今日すべてのことを考えていたら一睡もできませんでした。本当です。寝ようと努力してみましたが、とても頭が痛くて眠れませんでしたが、もう私たちは神様の働きの終わりに来ています。始めがあると終わりがあります。信じようが信じまいが、何人が信じたと言っても終わりがあるのです。なぜ終わりがあるのか、一時代を終わらせないといけないから。神様が罪のせいで離れ去っていきましたが、再びこの地に来る頃には罪を解決された人々と一つになって生きて暮らします。それはすでに聖書に記録されています。それで第一は神様の種で生まれた人々を収穫しなければならず、その次に養育しなければならず、養育が印を押すことです。その次にはこの人たちが神様の国の人として創造され、神様もこの間違った世界でもはや神様の世界を創造することです。

そうすると、この世から見る時は神様が敵になり、神様が見る時はこの世が敵となるでしょう。しかし、神様の御言葉で、その種で神様の新しい国が創造されるのです。ただの新天地ではなく、生まれ変わった人々によって新天地となり、神様がそこを作っておきました。そこに来て一つになればこの世のどの国よりも豊かに暮らすでしょう。神様が万福の根源だからこそより豊かに暮らすはずですね?神様と暮らせば真理とかそのような言葉も言いません。自由になりますよね。自由。法というのは何ですか。法があるから罪があります。法がなければ罪というものはありません。では、もう自由になれば、そんなことはないでしょう。そうです。このような良い世の中がこれから来ると言いました。その良い世の中が韓国だったらいいですね?そうでしょう? 万福の根源である神様が我が国に来られたら世界で最高の国になるでしょう?

私はそう信じて熱心に信仰しています。そうです。受講生の皆さん、勉強お疲れ様でした。また修了生たちに勉強を教えることもお疲れ様でした。神様は働いた通りに報いて下さると仰いました。天国をくださるでしょう?天から天国は来ます。神様と天国がこの地に来るようになります。啓(黙)21章に書いてあります。天国がこの地に来るのに天国をもらったらどうなりますか。永遠の命を与えられますね。神様が死なない永遠の命を与えるのです。私たち、神様をお迎えし、豊かに暮らす大韓民国になりましょう。永遠にですね。はい。ありがとうございます。ではお祈りします。


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大阪教会のYouTubeチャンネルでは、「新天地12枝派10万人修了式」の様子をノーカットで視聴することができます。また、これまでに配信した聖書の講義内容を日本語資料付きで視聴することができます。
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現在、新天地イエス教会は68カ国で3,000ヶ所以上の教会および神学校とMOUを締結しております。新天地イエス教会の聖書教材の提供、並びに講師の派遣を無償で行わせていただきます。
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登録者:shinchonji1984

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