明治末か大正初めの味噌の記録

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私の物心がつくようになった頃には家の前に大きな一二坪の土蔵があって そに廻して庇をなして其の隣は大きな八斗煮の味噌を入れるコガが一〇本ほどが並べられて 庇の上につるされていた干し餅を確か田打ち頃出していくのに樽の上を渡ったのを思い出されます。 昔は今と違って農業の技術が少なくて、秋になって皆無作に等しい凶作が珍しくなく或る時は二年も続いたとされ、其の頃は随分と悔みが大きかったのに相違がありません。 ために少しでも農家で余裕ができると 米がなくとも 味噌があると 活きられるという 経験から味噌を溜めるに限るとされてこんなに溜めるようにして居たのでもあろう。今、二俵の大豆を煮ると 凡そ味噌は八十貫生産されていきますから十本では是も恐らく 八百貫(約三トン)の味噌が蓄えていた事でもあったろう。 私の小さい頃、食べていた味噌は全く 土と同様な糞黒くなった味噌が食べられておりました。 其れだけに備えがあって又、裕福さが偲ばれるのに充分な物がありました。(古川味噌店)