新宿に程近い代々木の閑静な住宅街に誕生した新築高級低層マンション。
新宿駅に近い好立地ながらもマンション周辺は落ち着いた住宅街で住環境良好です。
落ち着いた街並みに溶けこむようなシックでグレーのカラーリングのスタイリッシュな外観。
シンプルで使いやすい間取りでシングルやディンクスの方に最適な住戸プランです。
代々木公園やオペラシティが徒歩圏内で充実した休日を満喫できます。
ここ「代々木 MK COURT」は新宿に近く、渋谷からも歩いて帰れる距離の「代々木」の住宅街に立地。
オンには仕事でスピーディーに動ける立地、学びの場も点在します。
オフには近所の代々木公園でうるおいの環境で癒され、少し足を伸ばすとパワースポット明治神宮にて参拝可能。
東京オペラシティ、新国立劇場も近く、文化、芸術に触れる豊かな生活が期待できます。
2011年にオープンしたばかりの新商業施設「代々木VILLAGE by kurkku」もお洒落な生活を彩る話題のスポット。
都心に近い落ち着いた住環境を享受してみませんか?
交通
小田急小田原線「参宮橋駅」 徒歩6分
京王線 「初台駅」 徒歩7分
所在地 渋谷区代々木4丁目39−1
構造 RC
階建て 4階建
築年数 2012年6月
間取り 1K~1LDK
駐車場 駐車場:2台 月額42,000円
駐輪場 駐輪場12台
設備
オートロック 防犯カメラ カラーTVモニタ付インターフォン 駐車場有り
駐輪場 宅配ロッカー ごみ置場 エレベーター トランクルーム(有料)
BS CS110℃ 光ファイバー ハイサッシ ペアガラス 浴室乾燥機
シャワートイレ セミオートバス バス・トイレ別 独立洗面化粧台
エアコン(全室) 浴室サイズ1216 グリル システムキッチン 浄水器 IHコンロ(3口)
~代々木4丁目の魅力~
広大な緑を借景とする高級住宅地ここ数十年の間に定着してきた「代々木=予備校」のイメージを振り切ることができないと、
この憧憬の街を見落とすことになりかねない。住所の表記こそ同じではあるが、1丁目から5丁目まである代々木には、6つの最寄りの駅とそれぞれの文化圏がある。
そして、代々木4・5丁目は、古くから高級住宅地としての性格が色濃い。
東側を公園、西側を山手通り、北を西参道で囲まれたこの地域は、JRの代々木駅とは無関係と考えていい。
歩いて行くには南新宿を通る長い坂を降りきり、また登るという苦労を要するが、誰もそんなことはしない。
4丁目の住人は自分の住む場所を「参宮橋」と駅の名で呼ぶ。5丁目の「代々木八幡」も同様である。そしてこのエリアは、
公園との境界がおおむね最も低い位置にあるために、代々木公園の緑を借景とすることができるのである。
この緑の存在が、もともと一帯を高級住宅地たらしめていたといえるだろう。宅地が形成された明治時代以来、現在の公園は一貫して東京には貴重な自然であり続けた。
そのために、小さな起状が多い代々木の中でも、見通しの良い場所に大邸宅が好んで建てられたのである。
また、山手線との間に横たわる広大な緑地は、この一帯を商業地にさせなかった。逆説的ではあるが、住宅地以外の用途に適さないがために、
環境が守られたのである。こうして、代々木駅、新宿駅に近い1~3丁目とは違ったアメニティが形成されていくことになった。
表通りから一歩内部に入っていくと、渋谷とは信じられないほどの静かな住宅地が広がる。いや、大山町や神山町と同様の雰囲気をもつ、
渋谷区独特の住宅地というほうが正確かもしれない。しかも、小高い坂の上からは、さえぎるものとないパークビューが展開する分、こちらのほうが得している。
そして代々木公園も、街ごと騒しい原宿側と違って、こちら側はあくまで静かである。JRの駅がないために盛り場がなく、
不特定多数の人間が集まることがない。歩行者天国バンドなどの集合する代々木公園とは別の顔である。最も人が集まるのは初夏、
公園駐車場に面した芝生のスロープが格別の日向ぼっこの場所になるときぐらいなのである。
~代々木の住宅街の歴史~
田畑から住宅にスムーズに移行した街、代々木4・5丁目の一帯は、江戸時代の終わりまではほとんど田畑、代々木村の耕作地であった。
明治の初期には茶の生産が盛んになり、「代々木は茶どころ」という、現在からは考えもつかない名声を得る。やがて野菜の栽培が主流になり、大根、ジャガイモの生産地として明治期を経過していく。一方、現在の代々木公園の場所では大きな変化があった。明治40年頃から当時の陸軍省により土地の買収が開始され、42年には陸軍練兵所となる。現在の公園エリアは、これ以後、民有地となることはなかった。
また当時、江戸時代の彦根藩井伊家の下屋敷だった18万2000坪に及ぶ広大な土地は、
皇室の南豊島御料地となっていた(この土地は現在の明治神宮内苑となる)。これで緑のエリアは確定したのである。
大正期に入り、代々木は街としての歴史をスタートさせる。大正4年に新宿まで開通した京王線は、甲州街道に近い一画を変化させた。
昭和4年には、小田急線が開通する。この頃から、代々木4・5丁目の一帯が住宅地として脚光を浴び始める。
小さなアップダウンが連続する土地の、小高い場所の景観が人気を博したのである。いい場所を、富豪/華族の屋敷や別宅が占めるようになっていった。
立地条件はこの時、後々土地柄を決める方向に作用した。陸軍練兵所と御料地という通り抜け不可のエリアが、都心方向に向かって広がっていったわけである。
そのために商業地とも、工場街ともならずに、いや、なれずに、必然的に住宅地になっていく。農地から住宅地への、スムーズな移行が行われたのだ。
野菜を中心とした近郊農業は、高井戸や松沢といった地域に押されてすでに下火になっていた。住宅地としての体裁を成した街は、太平洋戦争を経過して再び環境を変える。
まずは、米軍による代々木練兵所の接収である。ワシントンハイツと名前が変わった練兵所は、駐留軍の宿舎として使われた。
この米軍キャンプは、東京オリンピックを機に朝霞と調布に移転した。選手村を建設するためであったが、この背景には周辺の婦人団体を中心とする
大がかりな選手村誘致運動があった。住民パワーもあって接収解除となった土地は五輪後に整備され、森林公園となる。昭和46年、代々木公園の開園。
住民にとって自由に足を踏み入れられる場所になった。
~もう1つの緑、明治神宮内苑の魅力~
住民の庭たる代々木公園を除いても、代々木4・5丁目には緑が少なくない。代々木八幡神社、福泉寺の樹々がその代表格であろう。
武蔵野の面影、というフレーズが思わず口をついて出てくる濃緑色の木立が守られている。また、いまも残るお屋敷の庭木も目に止まる。
もともと自然環境が良好だった場所なのである。八幡神社から出土した石器時代の遺跡は、大昔にもその時なりのアメニティがあった証拠である。
また、いま小田急線が走っているかつての小川は、文学者・高野辰之が「春の小川」の作詞の想いを得たところである。そして現代も…。
あまり通る人もない明治神宮の北門が、参宮橋駅の近く、東京では珍しい乗馬クラブの横にある。ここから入っていくと、
まさに昔からの自然そのものを目にすることができる。周辺の住民にはとっておきの散歩コースである。四季を感じることのできる、
都内では得難い場である。4丁目の住民には、公園よりもこちらのほうが身近かもしれない。
~代々木の住宅街のアクセスについて~
代々木4・5丁目の足回りには、2つの選択肢がある。便利なコースと楽なコースである。
便利なコース
最寄りの駅は小田急線の参宮橋か代々木八幡、千代田線の代々木公園駅。甲州街道よりの地域は京王線の初台も使える。
これらの駅を使えば、通勤、通学の足は至便である。
楽なコース
参宮橋、代々木八幡から下り線に乗り、代々木上原で始発の千代田線に乗り換えるのだ。こうすれば朝のラッシュ時でも、
すべて座ったまま都心へ向かうことができるのである。周辺住民の特権的裏ワザである。
また、バスも充実している。4・5丁目をはさんだ2つの通りに、何と5系統のバスが運行されているのだ。特に代々木公園沿いを通って渋谷・新宿の
2大ターミナル駅を結ぶ「宿51系統」は、買い物にたいへん重宝する「足」である。
※出典元 ダイヤモンド・オンライン「広大な緑地公園が静寂を守る街「代々木4・5丁目」